1928年6月14日夜、アルゼンチン・ロサリオ市、カージェ・エントレ・リオス北480(河の入口北480番地)の病院で一人の赤ん坊が生まれた。
エドゥアルド・エルネスト・ゲバラ・リンチを父に、セリア・デ・ラ・セルナ・イ・ジョサを母に産まれたその子は、エルネスト・ゲバラ・デ・ラ・セルナと名付けられた。
「チェ・ゲバラの遙かな旅」 戸井十月 集英社文庫より
1959年1月1日午前2時10分、フルヘンシオ・バチスタ将軍が大統領特別機のDC4でドミニカ共和国へ逃げたことによって、ここに成立したいわゆる「キューバ革命」
それを成功させたキューバ人弁護士フィデル・カストロとともに、チェ・ゲバラの名前を脳裏に刻み込んだのはいつのことだったろう、
ベトナム戦争反対の運動に参加していた1968年、その前後の年だろうか、
名前と顔、ゲバラという名前と髭をたくわえベレー帽をかぶったその顔しか知らなかったその頃、
彼がキューバ人でなくアルゼンチン出身であることや、ブエノス・アイレス大学医学部を卒業した医者であったことも知らなかった、
希代のゲリラ戦士であり革命家であるより前に好奇心に満ちた旅人であり、負けず嫌いのスポーツマンであり、ロマンティックな詩人であり、そして何より、人を愛し続けたゲバラ、
ゲバラは、今も、国境や言葉を超えて世界の人々の中で生きている、
ゲバラは過去の人ではない、
むしろ、混沌とした今のような時代にこそ世界はゲバラを必要としている
ゲバラのことをしばらく書こうと思っている、
書く文章のほとんどを、戸井十月氏の著作からの引用に頼ることになる、
戸井氏の文章の大海の中に、ぼくの感想としての海鳥の南羽かを漂わせるかのようだ、
そのことによって、彼の文章が、それが意図する内容が薄まってしまっては申し訳ないのだが、著作を読んで感動したことを少しでも世間に伝えられれば、との気持ちから出発しているので、ぼくの文章の未熟さや慌てぶりには目をつぶってもらいたい、
戸井氏のあとがきにある、参考、引用文献・記事の中にも読んでみたい本があるので、そこから参考にしたり引用したときには、随時その時にまた明記する、
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